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伊東沖海底噴火から30年 1978年以降、群発地震46回

 ■火山群のマグマ活動“引き金” 「共存」へ気象庁が対応強化—伊豆東方沖
 
 伊東市沖で海底火山が噴火してから13日で丸30年を迎える。伊豆半島東方沖は1978年以降、46回もの群発地震に悩まされてきた。長年の観測・調査から伊豆東部火山群の地下のマグマ活動によって群発地震が引き起こされていたことが分かった。火山と「共存」を図るため、気象庁は2011年3月31日から同火山群の「地震活動の予測情報」と「噴火警戒レベル」を導入、運用を始めた。伊東市や近隣市町、県、警察、国土交通省なども防災体制の構築、的確な初動対応を目的に12年3月に同火山群防災協議会を設立、避難計画も策定した。これまでの経緯や課題を探った。
 気象庁が導入し、運用する「地震活動の予測情報」と「噴火警戒レベル」は、同火山群への防災対応の強化が狙いだ。予測情報は地下のマグマによる群発地震の活動が活発になると考えられる場合、地震の最大規模や震度、回数、活動期間、収束などを発表する。噴火警戒レベルは、市民らが取るべき防災対応を踏まえ、火山活動の状況をレベル1(平常)、同2(火口周辺規制)、同3(入山規制)、同4(避難準備)、同5(避難)の5段階で示す。火山活動に大きな変化がない限り、噴火予報は噴火警戒レベル1(平常)として発表される。
 ただ、同火山群は火口が地表に出現していないため、どこが火口になるか分からないとし、レベル2、3は発表しない。噴火の可能性が高まれば、1(平常)から4(避難準備)へと引き上げる。
 一方、防災協議会は噴火の可能性が高まった際の住民の避難方法などを示した「伊東市避難計画」を15年2月に策定した。想定火口域は同市の宇佐美から川奈にかけてとし、対象地区(宇佐美、湯川、松原、玖須美、新井、岡、鎌田、川奈)の住民は2キロ圏外に徒歩で避難することを決めた。
 18年10月の協議会では噴火の影響のある範囲を2キロから、国の指針に基づく計算により3・5キロへと拡大した。2キロの範囲の居住者は市内人口の約50%だったが、3・5キロへの拡大で荻や吉田、富戸、熱海市の一部も含まれることになり、人口の約70%(5万人)になるという。徒歩で3・5キロ圏外に出ることは難しいとして、避難方法を原則徒歩から車に変更した。
 
 ■避難方法—徒歩から車へ 渋滞など課題浮き彫りに
 
 協議会の事務局を務める伊東市危機対策課は、噴火の影響が及ぶ範囲が2キロから3・5キロに広がり、避難方法も徒歩から車へと変更されたことなどで、課題がより浮き彫りになったとみている。吉崎恭之課長は「避難で予想される車の渋滞は課題であり、受け入れ先をどう調整していくかも今後必要」と話す。
 範囲の拡大で避難する人数は約5万人を想定、要介護者や車のない人に対してはバスによる避難も検討していく。伊豆東部火山群は噴火するまで火口の位置が分からないため、「いつ避難準備情報を出すかが大きな課題」(村上靖危機管理部長)という。観光客の避難のタイミングも「どういう判断で行うか、今後決めていかないといけない」と頭を悩ます。
 避難した人たちの安否確認、災害時に拠点となる伊東市民病院、市災害対策本部も噴火の影響が及ぶ圏内に位置する。村上部長は「代替施設も考えていかなければならない」と話す。
 19日に開催するシンポジウムは30年前の記憶を風化させないのが目的。吉崎課長は「災害に正しく備えることが大事。市民の防災意識を高める一助にしたい」という。
 
 ■19日にシンポジウム
 
 伊豆東部火山群防災協議会と伊豆半島ジオパーク推進協議会は19日午後6時から、伊東市観光会館で「伊東沖海底火山噴火30周年記念シンポジウム」を開く。参加無料、申し込み不要。
 伊豆半島ジオパーク学術顧問で、静岡大防災総合センター教授の小山真人さんと、日本地震学会長で名古屋大大学院環境学研究科教授の山岡耕春さんが基調講演を行うほか、貴重な体験を語り継ぐため噴火を体験した人たちを交えたパネルディスカッションもある。
 問い合わせは伊東市役所危機対策課〈電0557(32)1362〉か伊豆半島ジオパーク推進協議会〈電0558(72)0520〉へ。
 
 ■「手石海丘」を3D画像化、火口部直径200メートル 溶岩流出痕跡も
 
 海洋調査会社、ウインディーネットワーク(本社・下田市、杉本憲一社長)は2015年3月、最先端の超音波技術で海底の地形を広範囲に計測し、精密なデータを収集して「手石海丘」の3D画像化に成功した。
 伊東市の手石島北方約1・8キロにあり、火口部の直径は200メートル、高さは41メートル、水深最深部は122メートル。周辺には6メートルの噴石、溶岩が流れた痕跡もあるという。
 
 ■当時の様子
 
 海底火山噴火が起きた30年前、伊東市内の観光関係者の一人は宿泊予約キャンセルの対応に追われ、監視活動をしていた消防団員は海上の異様な光景を目撃していた。当時の様子を語ってもらった。
 
 ◇宿泊キャンセル5万2000人—伊東温泉旅組・磯川義幸専務
 
 伊東温泉旅館ホテル協同組合の磯川義幸専務(66)は当時、組合職員として対応に苦慮した。「宿泊キャンセルの電話が鳴りっぱなしだった。噴火という言葉は恐怖心をあおる。風評被害が大変だった」と振り返る。夏の繁忙期だっただけに、7月だけで約3万5千人、8月を合わせると約5万2千人の予約が取り消されたという。
 安全が確認された後の8月28~30日、市と伊東観光協会は「誘客宣伝大キャラバン」と銘打った大々的な観光宣伝を首都圏で繰り広げた。“お得意さん”である東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県に足を運び、伊東温泉をPRした。
 参加したのは、議会や商工会議所、駅、旅行センター、専門店会、商店連合会、青年会議所、JA、NTT、青果市場、漁協、酒販組合、飲食業組合、マッサージ組合、ロータリークラブ、ライオンズクラブ、医師会、石油商組合、金融協会などから132人に上った。まさに“オール伊東”の布陣だった。「伊東が一つにまとまった。観光地としての意識が高まった」と厳しい状況の中でも光明を感じ取ったという。
 ホテル・旅館の防災意識が高まった契機にもなったという。「伊東は海が近く、宿泊客を津波からいかに避難させるかが大事。今は万一の対策、対応を日頃から訓練している」と話す。
 
 ◇突き上げる揺れ、黒い煙—いとう漁協・高田充朗組合長
 
 いとう漁協の高田充朗組合長(59)は、新井の自宅前で海底火山噴火を目撃した。「揺れが下から突き上げてくる感じで、家にいられなくて外に出た」という。噴火はその直後に起き、「水がめくれるように上った。黒い煙も見えた。津波と思い、家族を連れて車で逃げた」と振り返る。
 市消防団第4分団の団員として監視活動にも当たっていた。噴火後は海面に浮く魚が目に入った。「北東の風が吹いていて、伊東ダイビングサービス(新井)の所は一番魚が多かった」と話す。浮いていたのは、マダイやヨロイイタチ、メバル、スズキ、アマダイ、イトヨリダイ、ウッカリカサゴ、メジナ、イスズミなど多種に及んだ。「こんなに魚がいるとは思わなかった」と、伊東の豊富な魚種に改めて驚いたという。
 
 【伊東沖海底火山噴火】
 
 伊豆東部火山群の火山防災対策検討会報告書(2011年10月)によると、1989年6月30日午後6時すぎから見られた、体積ひずみ計の変化と群発地震が始まりだった。7月4日の午後から有感地震が急増し、5日は24時間ひずみ変化量が基準値を超えた。
 7日は震度4(M5・2)の地震があり、9日は地震の日回数が最多で震度4(M5・5)の地震も起きた。10日は低周波地震が観測され始めた。11、12日は振幅の大きな火山性微動が起き、12日は伊東で約10センチの隆起も分かった。13日の午後6時33分に手石海丘で海底噴火が起きた。
 17日午後3時26分には海底噴火後最大の微動が発生した。18日には群発地震が沈静化しつつあり、19日午前7時以降は微動の発生は少なくなり、21日を最後に微動は観測されなくなった。25日には群発地震はさらに沈静化した。

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