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狩野川台風風化させない 襲来から67年 各地で慰霊―伊豆、伊豆の国

 伊豆半島で千人を超える死者、行方不明者を数えた狩野川台風(1958年)の惨禍から、26日で67年を迎えた。特に被害を受けた伊豆、伊豆の国の両市の住民はさまざま形で犠牲者を追悼し、防災への思いを新たにした。伊豆市内では学校再編で従来の形の慰霊式ができなくなっても、工夫を凝らして記憶を継承する人々の姿があった。

 ■「心の故郷」へ献花 風化防止へ卒業生有志―伊豆・狩野川台風67年

 伊豆市柏久保の旧修善寺中では、同校の校史継承活動に取り組む住民グループ「修中桂流会」(水谷隆一会長)が献花などを繰り広げた。同校が昨年まで行っていた慰霊式を継承し、卒業生や元教員らが集い、校門横に設置された復興のシンボル「志鼓の像」へ花を手向けた。
 伊豆中(日向)への統合で現役生徒による像への献花ができなくなったため、像や同校にまつわる記憶の風化を防ぐため水谷会長が企画した。水谷会長は「像は修中生の心の故郷。毎日見て、困難を乗り越える勇気や友情の大切さを学んだ。来年以降も献花を続けたい」と思いを語った。
 校地内では、同校が受けた台風被害を伝える記録物の展示や除草作業も繰り広げた。就労継続支援B型事業所「イエス」(大平)の利用者も参加し、汗を流した。

 ■伊豆中の新たな伝統へ 生徒が「志鼓の像」向き献花

 台風で特に大きな被害を受けた旧修善寺中を含む3校が統合した伊豆市立伊豆中(駿藤衛校長、生徒451人)は、慰霊式を同校で開いた。旧修善寺中で毎年行っていた伝統を受け継ぎ、生徒会役員らが「志鼓の像」の方角を向いて献花した。校内放送を活用して災害当時の様子を全生徒に紹介し、学校の形や場所が変わっても変わらない防災への思いを確かめた。
 校舎入り口付近に献花台を設置し、白菊を手向けた。ともに修善寺中出身の3年生で、生徒会長の三須煌生さんは「悲劇を繰り返さないために、昔この地で起きたことを伝え続けたい」、副会長の山下栞奈さんは「修中は閉校したが、伊豆中の新しい伝統として続けたい」と話した。
 台風当時横瀬にあった修善寺中は校舎が流失し、生徒29人、教員1人、用務員1人が命を落とした。志鼓の像は犠牲者をしのんで美術部らが彫像し、2年後の60年に柏久保の新校舎に設置された。

 ■住民が体験談伝える 熊坂小は「学ぶ会」
 
 伊豆市立熊坂小(紅林進矢校長、児童96人)は、台風被災者の体験談を聞く特別授業「狩野川台風に学ぶ会」を開いた。熊坂の住民2人が、日々の備えや命の大切さを訴えた。
 三島満さん(72)と足立仁さん(74)が来校した。当時5歳だった三島さんは、祖父母や近所の友人を失った。「わらぶき屋根の上に逃げたが、家もろともに流された」などと当時の様子を詳細に話し、水害の恐ろしさを伝えた。
 児童は真剣に聞き入った。星谷槙都さん(6年)は「これからも災害から命を守っていきたい」と話し、三島さんに礼を述べた。
 熊坂地区は大部分が流失する甚大な被害を受けた。熊坂小は校舎の流失は免れたが、児童78人、教員2人が犠牲になった。同校は毎年この日に「学ぶ会」や校地内の慰霊の像「友愛の像」などへの献花を行っている。

 ■10キロの行脚で鎮魂 龍源寺(伊豆の国市大仁)の中山副住

 伊豆の国市大仁にある龍源寺の中山太智副住職(29)は、狩野川台風で大きな被害を受けた同市大仁、神島、中島地区、伊豆市の熊坂地区を約10キロ行脚し、犠牲者を鎮魂した。
 中山副住職は午前10時に同寺を出発し、題目を唱えながら流域を歩いた。中島公民館の供養塔、神島と中島の共同墓地、狩野川記念公園と大仁橋たもとの慰霊碑を訪れ、線香を手向けて読経し、回向文を読み上げた。
 布施のない経を上げるように―という法話を聞いたのがきっかけで、4年前から続けている。厳しい日差しが照りつける中、中山副住職は「4回目が一番暑い」と汗を拭い、「多くの檀家(だんか)さんも亡くなった。自分がたたく太鼓の音を聞くと狩野川台風を思い出し、少しでも防災意識が高まるとうれしい。今後も継続していく」と力を込めた。

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