河津町の名を付けた早咲きの桜「河津桜」は昭和30年ごろ、同町田中に住む飯田勝美さん(1904~66年)が河津川沿いで芽吹いた若木(原木)を見つけたのが始まり―とされ、今年の「河津桜まつり」は「始まる。発見から70年 河津の春。」をキャッチコピーに掲げる。2月1日のまつり開幕を前に、飯田さんの長女で町内に暮らす折田倫子さん(80)と、長男典延(すけのぶ)さん(故人)の妻のぶ子さん(87)に原木にまつわる思い出や河津桜への思いを聞いた。
倫子さんは「寒い時期に雑草の中に黄緑色の芽を出した木があった。父は早く咲く桜ではないかと思って採ってきた、と母から聞いた」と記憶をたどる。勝美さんが静岡銀行を退職した59年、庭に池を造りだした。築山を設け、雑草の中で見つけた若木を植えた。
若木が花を初めて咲かせたのは66年だった。「やっぱり桜だったね」と勝美さんは妻ひでさんと語っていたという。勝美さんは開花を見届けるようにして同年4月に他界した。のぶ子さんが嫁いだのはその後だった。
通りがかりにきれいな花を咲かせた桜を見て、枝がほしいと飯田さん宅に寄った男性がいた。伊東市で造園業を営む勝又光也さんで、接ぎ木で増やし河津桜は広がった。
74年に「河津桜」と命名され、やがてまつりが始まった。倫子さんは母と一緒に甘酒を作って花見客をもてなしたこともあったという。30年ほど前に全国紙の1面に原木のカラー写真が掲載されたこともあり、花見客は増加。まつりは伊豆半島を代表するイベントになった。「父が植えた桜が地域のため、観光のために役立ち、本人が一番びっくりしていると思う」とほほ笑む。
のぶ子さんは原木に花が咲くと枝を切り、仏壇に供えて手を合わせる。原木が弱らないようにと願う。倫子さんは「原木を譲ってほしい」と言われても、ひでさんが断った思い出を交え「いろいろな偶然が重なって、今も原木がここにある。父が見つけた桜を地域の皆さんが各所に植えてくれたおかげで河津の名も広まった。すごい桜だと思う」と話し、ほころび始めた花を見上げた。